翻訳と辞書
Words near each other
・ 海麗邨
・ 海黄
・ 海鼠
・ 海鼠壁
・ 海鼠子
・ 海鼠板
・ 海鼠池
・ 海鼠腸
・ 海龍
・ 海龍 (占い師)
海龍 (潜水艇)
・ 海龍リバーサイドモール
・ 海龍元氣
・ 海龍元生
・ 海龍玄気
・ 海龍玄氣
・ 海龍王寺
・ 海龍級潜水艦
・ 浸
・ 浸かる


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

海龍 (潜水艇) : ウィキペディア日本語版
海龍 (潜水艇)[かいりゅう]

海龍(かいりゅう)〔『内令兵第二五號(軍極秘) 回天、海龍及蛟龍ヲ兵器ニ採用ス 昭和二十年五月二十八日 海軍大臣』〕は、大日本帝国海軍特殊潜航艇の一種で、敵艦に対して魚雷もしくは体当りにより攻撃を行う二人乗りの有翼特殊潜航艇・水中特攻兵器である。海軍工作学校教官、浅野卯一郎機関中佐(階級呼称は1943年1月当時)の発案で開発された。開発段階では機密を図るため「SS金物」と呼ばれた。
本土決戦用の特攻兵器として開発され、飛行機の部品などを使用し横須賀海軍工廠などで終戦までに224隻が建造され、約207隻が製造中だった〔明治百年史叢書『昭和造船史 第1巻』、pp. 617-618。〕。通常の潜水艦と異なり、翼を有し、飛行機のように上昇と下降を行うため、構造が単純で建造を短期間に行うことができた。各地に基地を設け、海龍を配備したものの、終戦によって本土決戦が回避されたため実戦に大規模投入されることはなかった。
== 開発 ==
秘匿名称「SS金物」として各種試験が繰り返され、1944年5月の時点でほぼ実用的な艇が2基製造されていた。1基は横須賀の海軍工作学校、もう1基は海軍工廠に置かれた〔「丸」編集部『特攻の記録』243頁〕。
計画時は目標近くまで母艦任務の潜水艦で運ばれ出撃し、敵艦艇を雷撃した後に母艦へ帰還する、とされていた。
海龍の兵装は直径45cmの魚雷2本である。魚雷は、内部に射出用ロケットを装備した射出筒の内部に収められていた。この射出筒を、海龍の艇体下部に設けられた2条の軌道に、それぞれ前方から挿入し固定した。艇内から射出スイッチを操作すると射出筒内部のロケットが点火、魚雷が筒の前扉を吹き飛ばして撃ち出され、射出筒自体は軌条を後方へ抜け落ち、艇体から離れる。発射は海龍の開発時に実際に行われ、評価試験者は発射の衝撃、轟音、そして艇のツリムの急激な変化への対応に苦労した。またこれらは開発に携わる搭乗員に、実用上の懸念を抱かせるものだった〔「丸」編集部『特攻の記録』244-246頁〕。その後、海龍の量産に伴って魚雷射出筒の装着が間に合わないことから艇首に600kgの爆薬を装備することが決定された。実際に射出実験・訓練を行った海軍関係者は数名にとどまる〔「丸」編集部『特攻の記録』246頁〕。
意欲的な設計がなされた本型は大型の水中翼を装備していた。操縦も爆撃機銀河から航空機用の操縦装置を流用し、これはジョイスティック装置と呼ばれ現代潜水艦の標準的な操縦装置である〔歴史群像 太平洋戦史シリーズ17「伊号潜水艦」学習研究社 刊〕。
海龍の操縦は他の潜航艇と比較すればまだ簡易であり、水上、水中の運動を行うにあたり、操作担当に要する乗員数を少なくおさえている。海龍の司令塔のハッチ直下には艇付席が設けられており、このすぐ後方に艇長席がある。艇内は極度に狭いため、艇長・艇付が順序よく艇に入る必要があった。艇付は操縦桿により水中翼フラップを操作した。フットレバーは縦舵を動かす。またジャイロコンパス、深度計、回転計、圧力計、電池の充電状態などの計器類は艇付席に集約されていた。潜望鏡による外部と上空の索敵、潜行と浮上の注排水、エンジンクラッチの操作は艇長の担当だった〔「丸」編集部『特攻の記録』246-247頁〕。
海龍は甲標的や従来の潜水艦と異なり、水中翼によって航空機のように運動できる艦艇だった。海龍は司令塔直下の水中翼によって水上走行時の予備浮力を保持することができた。航走中、艇の浮力を中正もしくはややマイナス気味としておき、水中翼のフラップを作動させることで急速潜行が可能だった〔「丸」編集部『特攻の記録』244頁〕。熟練搭乗員が艇を操作した場合、完全潜行は5秒以下で行われた〔「丸」編集部『特攻の記録』250頁〕。海龍は、改善を繰り返したことで構造や機能が簡易化され、水上・水中の安定性が良好であり、艇体の大きさに比べて圧力を支えるビームが多かったために、水中での耐圧性に優れていた。甲標的での訓練に完熟した搭乗員は、海龍の操作を把握するのにさして時間を要さなかった。SS金物の実験要員は『豆潜水艦としてはなかなか立派なものだった』という評価をこの特殊潜航艇に下している〔「丸」編集部『特攻の記録』248頁〕。
SS金物は兵器として一定の目処が立ったため、1945年3月、三浦半島の油壺に基地を作り、搭乗員の養成が開始された。4月に海龍として緊急量産が命令される。5月末、回天蛟龍と共に兵器として採用された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「海龍 (潜水艇)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.